連載:私の研究履歴書 最終回 〜その後〜

3月末の学位授与式の案内が届かないなと訝りながら、春の学会の準備などで過ごしていると、直前になって封書が職場に届きました。どうやら学位授与式の案内は同じアパートにお住まいの同姓同名の田嶋さんへ誤配送されたようです。あいにく、同日には東京で開催のポルフィリン研究会の講師として招待されていましたので出席は叶わず、東京で大矢先生と上野郁子先生(当時、東大医科研)にお祝いして頂きました。

その後、松山で構造化学研究室の卒業生有志から記念品として立派なグローブを頂戴しました。このグローブは私と同じ愛媛大学硬式野球部所属の新山弘之さんによるRawlings社製のプロ仕様オーダーメイド硬式野球投手用(当時)で、「理学博士 K. Tajima」の刺繍入りです。その日は、研究室馴染みの「ひげのマスター」のパブで同窓会が開催され、皆さんと一緒に楽しく過ごしました。このグローブは今でも手元に置いて大切にしています。構造化学研究室で苦楽を共にした優秀な学生諸君のおかげで研究の「後ろ髪」を学位論文にまで仕上げられたことを今日でも深く感謝しています。

この同窓会の席で学位を目指す卒業生から、「先生は学位を取るのに苦労しましたか?」と問われました。あまりにもストレートな質問に驚き、私でもこの質問はしないなと苦笑しつつ、「努力は報われるし、実力がつくから大丈夫だよ」と応えるのが精一杯でした。当時を振り返ると、私は既に職に就いていたので経済的な苦労は皆無でしたが、学位で諸問題が解決できるとの期待から強い焦燥感がありました。したがって学位に関する苦労は主に研究遂行上に存在するはずですが、なぜか卒業生に紹介できるような苦労話は思いつきません。当時はヘム過酸化物錯体の分子構造と反応性に対する興味が強く、たとえ努力が報われることなく徒労に終わっても、その取り組みが苦労として記憶に残ることは無かったようです。

先日、渡邊誠也先生(愛媛大農学部教授)、櫻井康博先生(明石高専講師)との極低温ESR測定の最中に学位にまつわる名言(迷言?)を思いつきました。「学位では誰もが苦労するが、誰もその詳細を説明することはない」。これは、予備知識なく単著論文2報を要する論文博士に挑んだ経験から発した一節です。如何でしょうか。

修士課程の修了から学位を目指して疾走してきましたが、良質の教育と指導が受けられる環境に身を置き、良き友人を得て、折々に努力する機会に恵まれたことは幸運でした。石津先生の口癖、「先祖に感謝せよ」を実感しています。それでも、無酸素運動状態で暴走した数年間は研究以外の事柄に思慮が及ばず、多くの方々にご心配とご迷惑をお掛けしたと、今日でも忸怩たる思いがあります。お世話になった方々のご恩に報いるべく、次世代の研究者を支援する方策を実業界に身を置きながら思案しています。


 

本コラム連載「私の研究履歴」は、令和4年3月16日に開催の京都工芸繊維大学における最終講義の前半部分に相当します。

卒業生有志から贈呈された学位取得の記念品
ローリングス社製の特注グローブ