連載:私の研究履歴書 第3回 〜学生時代3 論文作成〜

私が所属した構造化学研究室は成績優秀(?)で個性豊かな学生が毎年配属される人気の研究室でした。新4回生は配属直後から実験室の掃除、有機合成の基礎およびESRスペクトル解析などについて、M1学生からトレーニングを受けます。4月初旬に研究テーマが各自に割り振られ、同様の研究に携わる大学院生とペアを組んで卒業研究実験を開始します。M1学生が中心となる春のトレーニング期間をM2学生は余裕で過ごしますが、私は石津先生から欧文誌に投稿する図表と英文草稿の準備が指示されました。

ワープロのない時代ですから草稿と表は手書あるいは電動タイプライターで準備します。スキャナーやパワーポイントは存在しないので、ESRスペクトルはロットリングペンでトレースします。馴染みのある有機合成の英文はなんとかなりましたが、解析や議論の部分は参考論文の立派な英文の切り貼りになります。一貫性の乏しいキメラのような草稿で先生に意図が伝わるわけも無く、「何が言いたいのか!さっぱりわからん!」の連続攻撃を受けて草稿は赤ペンでズタズタになります。ある日、深夜のラジオ番組「歌うヘッドライト」を聞きながら修正原稿を準備して議論に向かうと、「一夜漬けで論文は仕上がらない!出直してこい!」と一喝されたこともありました。苦労の末に論文がアクセプトされたときは合成から測定、解析および論文作成にいたる「研究」が完結した達成感がありました。(ESR and ENDOR study on 5-O-membered crown ether bearing a triphenylmethyl radical moiety, K. Tajima, H. Shimizu, T, Morita, H. Tomoda, K. Mukai, and K. Ishizu,* Organic Magnetic Resonance, 1983, 21, 376-393.)

構造化学研究室の雰囲気は先生が2泊3日の出張に出かけると一変します。出発の前日は夕方までに実験と後片付けを終わらせて待機します。先生が帰宅されると一部の学生は学割10%の居酒屋へ直交します。そして、初日は怠惰に過ごし、2日目は登山や海水浴に出かけます。最後の3日目にラボは不夜城と化して徹夜で測定と解析をこなし、日焼け顔で翌日の議論に臨みます。ここでは実験条件とスペトル解釈の妥当性が吟味され、続いて問題点と改良点を加味した次の実験計画を立案します。学生がアイデアを提案すると、先生は否定することなく「面白い!やってみなさい」と鼓舞して下さいます。また、先生の意見に納得できない場合はこっそりと「隠れ実験」を続けました。そして、決め手となるESRスペクトルを教授室のドアに差し込んで帰宅し、翌朝の議論を優利に進めることもありました。 構造化学研究室の学生は、将来的に自分の意図で実験と解釈ができる研究者となるために良質なトレーニングを受けていました。切磋琢磨しながら研究室で過ごした学生の人間関係は濃厚で、互いに化学系企業で活躍しながら交流は長く続きます。大学に就職してからは、同様のトレーニングの機会を学生諸君に提供できるよう注力しましたが、これは容易なことではありませんでした。

左、石鎚山系 雪渓の堂ヶ森 1982年5月
右、石鎚山 弥山から天狗岳 2023年9月
(41年後)、左から先輩のY氏、著者、
同級生のM氏
左、石鎚山系 雪渓の堂ヶ森 1982年5月
右、石鎚山 弥山から天狗岳 2023年9月(41年後)、左から先輩のY氏、著者、同級生のM氏