第1回:スペクトル解説・有機ラジカル1

TEMPOL(4-hydroxy-2,2,6,6-tetreamethylpiperidine-N-oxyl)ESRの標準試薬として使用される安定ニトロキシドラジカル誘導体です。TEMPOLは重合禁止剤として工業的に使用されるため、高純度試薬が安価に供給されています。この他にも、活性酸素種のESR検出に多用されるDMPO(5,5-dimethylpyrrpline-N-oxide)と短寿命ラジカル種の付加体(スピンアダクト)ラジカルもニトロキシドラジカルです。この連載では、DMPOの水素原子アダクト(DMPO/H)および重水素原子アダクト(DMPO/D)のスペクトルを比較します。

下図はDMPOの2位N=C二重結合にH•が付加したDMPO/Hラジカルです。ESR信号は9本線ですが、信号の強度比を注意深く眺めると、強度比が1の6本線と強度比2の3本線が見て取れます。左端(低磁場側)の信号①から隣の信号②の間隔をa1、次の信号③との間隔をa2とします。信号②からa1だけ高磁場の位置には強度比1の信号④があります。さらに、強度比2の大きな3本線③⑤⑦の間隔もa1です。信号①②④および③⑤⑦の3本線分裂(a1)は窒素核の核スピン(I = 1)による等価な3本分裂(ANとします)です。次に、信号①からa2の間隔で高磁場側に進むと信号③と⑥にたどり着き、これら信号①③⑥の強度比は1 : 2 : 1です。信号②からa2の間隔に強度比は1 : 2 : 1の信号⑤⑧が位置しています。同様に、信号④⑦⑨の間隔もa2であり、それらの強度比も1 : 2 : 1でした。強度比が1 : 2 : 1の3本線は、等価な2個の水素核(たとえばメチレン水素)による分裂です。DMPO/Hの9本線は窒素核と2個の水素によるトリプレットートリプレット分裂であることが分かります。

DMPO/HのESRスペクトル分裂には、5位のメチル水素、3および4位のメチレン水素はESR分裂に寄与していません。これは、ラジカル中心の1位窒素原子からシグマ結合が2個の水素核(β位水素と呼びます)には不対電子が分布するのでESR分裂に寄与します。しかし、シグマ結合で3個離れた(γ位水素)5位メチル水素と3位メチレン水素核への不対電子の広がりはβ位水素に比べて著しく低下するので、ESR分裂に及ぼす寄与は無視できるほどに小さくなります。そのため、実質的にDMPO/HのESR分裂に寄与するのはラジカル中心のN原子とβ位(2位)メチレン水素に限られます。

一般に、1H-NMRスペクトルでは分子内のプロトンのすべてがchemical shiftの順に整列して観測できます。しかし、ESRではγ位水素のように不対電子密度分布が低いと、水素の分裂幅は線幅に隠れるほどに低下し、そのプロトンの分裂は観測できません。